和歌山県で使う言葉は基本的に関西弁なのですが、地域特有の言葉というものも存在します。
私の住む地域では、例えば、
- 語尾に「らよ」をつける
- 自分のことを「わい」「わし」と言う
- 「そいよ~」(それ)「あいよ~」(あれ) など
大学進学で東京で住むことになったときに、当たり前に使っていた言葉があまりきれいじゃないよな、ということを気づかされることになりました。
「その言葉、こわいっ!」と友人に言われた
東京ではいわゆる標準語に切り替えて話していました。
関西弁のままお話される方も当然いらっしゃいますが、どこか私の中で恥ずかしいという気持ちがありました。
でもなんちゃって標準語なので大学進学当初は中途半端な気持ち悪い標準語を使っていて、新たにできた友人にすごくからかわれていたのを思い出します。
たまに発する関西弁や地域特有の言葉にとてもビックリしていました。
電話で普通に「しばく」と言っているのをそばで聞いていた友人に「怖い」と言われたことも。
「なんや」「われ」
そんな言葉を私がたまにいうと驚かれました。
地元の言葉を話すと口調が荒く感じるようです。けんかをしているみたいだと。
東京やほかの地域に住む友人は、関西出身者が私しかいなかったこと・しかも純粋な関西弁ではなく和歌山県の出身であることで関心があったようです。
他地域の友人と知り合うツール
関西弁や和歌山県特有の言葉を使うことがある種友人を作る武器になりました。
高校までは友人は少ないほうでしたし、できれば地元にはもう残りたくない気持ちでした。
楽しい学生生活ではなかったので大学に入ったら変化させたいという思いが強かったです。
地元の人達がいないであろう東京の大学を選んだことで、すべて一からのスタート。
人脈を作るには、基本は片言の標準語を使い、たまに関西弁や地元の言葉を駆使することで関心を持ってもらえるようになりました。
税務署で知り合った仲のいい同期とは違う親密さがあり、今でも連絡を取り合える貴重な友人たちです。
貴重な友人たちとの出会いに感謝
今こうやって家業の都合もあって和歌山県へ帰省し開業しましたけど、東京に住む大学時代の友人と話をするときはどこかほっとするんですよね。
大学を卒業してから年に1回会うか、たまにメールやLINEをするくらい。
それでも集まったら思い出を話せる。
あんなことしゃべってたよね。
あの言葉怖かったよ。
そんな仲間がいることは地元の言葉があったからだと改めて思います。
地元の言葉を忘れることはないだろう
おそらく家業の状況にもよりますが、両親も高齢ですのできっと事業を止めるときが来るでしょう。
私も地元にずっといたいかというとそのつもりはありません。
20年以上東京に住んでいましたので、東京での生活に慣れてしまいました。
なのでそのうち東京へ行くと思います。
しかし、今こうやって地元で暮らし始めてから言葉の温かみを感じるようになりました。
関西弁よりきつめの言葉ですけどどこか気取っていないというかストレートに気持ちを表現しているような気分になるんですよね。
それだけで会話が成り立つのが不思議で。
東京ですとやっぱり言葉のどこかで壁ができてきてしまうときがあります。
どこか取り繕っているような感じでしょうか。
でも地元で話すとそれを破って自分をさらけ出せるような気がしています。
なので地元の言葉は一生忘れずにたまに使っていこうと考えています。
まとめ
「しばく」とは、暴力的でケンカしたときに使う言葉だと思われがちですが、正直普段の会話に登場してきたので友人たちは驚いたようです。
そんな普段地元で使っていた言葉が当たり前ではないとき、恥ずかしいと思うと同時に新たな出会いができることもあるということを今日は書いてみました。
では。
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